こんなところでも近畿タクシー

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以下の文章は「神戸新聞2004年5月9日、10日(朝刊)」の社説より一部を抜粋し、転載しています。

大震災10年へ
企業の社会貢献(上)

 大震災は、さまざまな企業にも降りかかった。被害を調べ、従業員の安否を確認するなど緊急対応に追われながら、被災市民に支援の手を差し伸べる企業もあった。
阪神・淡路大震災ではボランティアの力が再評価され、特定非営利活動促進法の成立につながった。しかし、その後の市民団体の活躍に比べると「企業市民」の動きは鈍い。あらためて被災地の事例に学び、社会貢献の輪を広げる契機にしたい。
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 「震災で私の中で化学変化が起きた」
 今年3月に開かれた「神戸ソーシャル・ベンチャー・アワード」の表彰式で、優秀賞に選ばれた「近畿タクシー」の森崎清登社長は、壇上でこう切り出した。
 それまで、まちづくりに関心はなかった。転機になったのは震災1年後、被災地を去るボランティアが言い残した「あとは地元の人が頑張って」という言葉だった。
 JR新長田駅南の復興再開発地区でまちづくりにかかわり、商業活性やすべての人にやさしいユニバーサルデザインの浸透など、さまざまな活動の旗振り役を務めてきた。活動の多くはボランティアだが、常に“企業の看板”を背負っている。
 「企業のブレーンはまちの人。まちづくり活動の照り返しを本業に生かしている」
 お花見や海水浴、地元球団の応援など、地元の資源を本業に結びつけたツアーを数多く開発してきた。それだけではない。塾通いの子どもの送迎タクシーや介護タクシー、警備分野への進出など、地域の安全・安心を守ろうとする姿勢が、アワード審査員らに高く評価された。
 人であれ、地域であれ「潜在資源」を見抜き、磨き、つなぐ手腕は、企業経営で培われたものだ。住民主体のまちづくりの現場で、あえて同化せず、自らを「営業感覚を持つ外の人」だと位置づける。
 まちと本業と、どちらも元気にする。そんなバランス感覚が、地域に受け入れられ、活動が広がった秘けつだろう。

社説の全文はこちらにあります


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