こんなところでも近畿タクシー

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以下の文章は「人権ジャーナル KIZUNA(きずな) 2004年10月号(財団法人兵庫県人権啓発協会発行)」に掲載された記事を転載しています。

 「観光の街・長田」にとって初めての観光客、名古屋市内の中学校から160名の修学旅行生が訪れた、春の日。震災から6年余りが経っていました。新長田南地区の商店街の有志50名が、急ごしらえの案内係の腕章をつけて、到着を今や遅しと待ち構えています。
 「見るもの言うても、大したものは無い。修学旅行と言うたら、自分らの時は、きれいな景色とか、国宝の建物を見るのが普通やった」と商店街のひとりが言う。周囲にいた仲間たちも「その通り」とうなずく。「みんなが、しゃべる観光資源。“生(なま)”で語り部になるわけやが、行き当たりばったりの話を中学生が関心持って聴いてくれるかな」。
 はじめの第一歩は、いつも、こんなふうに不安が勝ちます。でも、修学旅行生一行は、5丁目の“震災アーケード”を通って、角を曲がり、「お世話になります」と、もう到着しました。“震災アーケード”とは、震災によって被災した新長田南地区のアーケード。損壊跡や火災跡が、当時のまま保存され、「まちの記憶」となっていたものです。
 「ようこそ、長田の街へ。街のみんなが、精一杯の歓迎をします。震災の日から今日まで、街じゅうの人々がいろいろな課題に取り組んできました。しかし、復興の道のりは長く、困難なことがいっぱいあります。この先、真っ暗と思うことも多々あります。ただ、そんな中で、パッと光る明かりがあることに最近気づきました。1つの課題にみんなの知恵と力を出し合って、つないでゆくと、思いもよらないパワーになる。みんながつながってゆくことの素晴らしさをお互いが共有できる場が出来ている。
 これが、長田の街の光だと思います。景色や建物のように、すぐに目に入って来ないけれど、語り部になった街のみんなと交流する中で、探りながらこの光を観てください」。
 生徒たちは、取材手帳を持って、思い思いの店舗に散らばりました。
 「何でも聞いて!震災のことは、思い出したくないことばかり。しかし、伝えておくことは、大事なこと」。初めの不安は、出会いで吹っ飛び、手振り身振りが入っての語りになりました。もちろん、台本なんて、ありません。大人たちが、店先で一生懸命に語り掛ける姿に、びっくりして、取材手帳を握ったまま、じっと見つめている生徒。その眼差しに、引くことが出来なくなって、さらに、リップサービスならぬディープサービス、つまり、心の奥深いところで語り始める商店主。
 「これを知っておいて欲しい。みんなが災害をはじめいろいろな困難に出会ったとき、きっと役に立つ。それは、人間同士つながること。危機を迎えたとき、心を閉ざさず、縮み込まず、心を開くこと」と、言い放った語り部たちの眼は、修学旅行生の真摯な眼と、つながって、さらに光を増してゆきました。

 ※ “震災アーケード”は、平成14年8月に撤去されました。
プロフィール
1952年生まれ。早稲田大学法学部卒業。近畿タクシー株式会社代表取締役。平成14年、「タクシー進化論会議」を提唱し、ユーザー発案のアイデアタクシーを導入するなど、タクシー業界に新風を送り込む。翌年、復興街めぐりで長田区内を広く結ぶ「神戸長田コンベンション協議会」の設立に参画。現在、同協議会の会長等を務める。

 誌面よりスキャナで写真を取りこみましたので、若干汚れが目立ちますがご了承下さい。


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