こんなところでも近畿タクシー

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以下の文章は「日本経済新聞 平成13年5月27日朝刊」社会面に掲載された記事を転載しています。

命の尊さ 知る旅

伝え学ぶ
拝啓 震災の街から 第4部(1)

「日本経済新聞 平成13年5月27日朝刊」社会面に掲載された記事です。
上記記事内の写真のアップです。
修学旅行生の受け入れを企画した
伊東正和さん(右)と森崎清登さん
(神戸市長田区)

 名古屋市熱田区の市立日比野中の校長室に「絆」(きずな)と大きく墨書きされた模造紙が張られている。
 今月29日からの修学旅行を前に、三年生が書いて持ってきた。「自分たちが決めた修学旅行のスローガンです。」この言葉を聞いた瞬間、矢野忠弘校長(59)は「生徒たちは何かをつかんでくれるに違いない」と確信したという。

行き先は神戸
 同校は今年、修学旅行の行き先を東京から神戸方面に変えた。「修学旅行を思い出づくりだけでなく、生き方を考えるような場にしたい」という思いから、阪神大震災の被災地を訪ねる旅を計画したのだ。
 生徒たちは昨秋から週2時限、被災者の手記を読んだり、映像などを見る「震災学習」を続けている。
 小学二年の時に起きた震災は遠い出来事だが、「被害や復興の厳しさを知って涙したり、思い悩んだり…。震災はまだ終わっていないと感じるようになった子も多い。」三年生の学年主任、新免達希教諭(41)は学習を通じた生徒の変化をこう語る。
 「命の尊さについて考えるようになった」と三年生の岡本恵さん(14)。生徒たちは被災者に聞きたいことをそれぞれ持ち寄り、質問集をまとめている。

生徒受け入れ「復興」語る

逆転の発想で
 「この街では住民一人ひとりが震災の語り部。隅々まで歩いて気軽に触れ合ってほしいね。」神戸市長田区の大正筋商店街で茶販売店を経営する伊東正和さん(52)は若者の来訪を楽しみにしている。
 受け入れ側にとって修学旅行は被災地を「体験学習のまち」としてPRしようという試みの第一弾だ。
 80年の歴史を誇る大正筋商店街は震災で九割の店舗が全壊、全焼する壊滅的な被害を受けた。店舗を再開した後も、高齢化や後継者難でやむを得ず店をたたむ商店主が少なくない。
 「被災地の今の姿をありのままさらけ出すことで街に緊張感と活力が生まれるのではないか。」大正筋など9商店街・市場の商店主でつくる会が取り入れたのは、被災地の厳しい現実を“売り物”にしようという逆転の発想だった。
 修学旅行受け入れ企画の立案者の一人、大阪外国語大学の森栗茂一助教授(46)は「被災者の生の声に触れる若い世代は、コミュニティーや防災に強い地域づくりの大切さを学ぶ。被災地の住民が新たな街づくりに奮起するきっかけにもなる」と意義を強調する。
 震災からほぼ6年半。被災地はかなり復興したという認識が一般的になっている。が、長田区の商店街などには今もあちこちに更地が残り、震災前とは程遠い状態。「たまに視察に訪れる政府関係者が『まだ、こんななの』と驚いている。被災地と外部のずれは大きい」と伊東さんは嘆く。
 それを埋めていくのは、被災者の「忘れられない思い」を被災者以外に伝えていく作業なのだろう。

メニュー多彩
 修学旅行生はグループに分かれて被災地を歩く予定だ。被災者に話を聞くことのほか、電気、ガス、水道が使えない状況での料理づくり、電動スクーターを使った街のバリアフリー度調査など、多彩なメニューが用意されている。
 震災1ヵ月後、店の焼け跡に商品を並べた伊東さんは、忘れられないその光景を収めた写真を修学旅行生に見てもらおうと思っている。

 あらゆる災害は風化していく。被害の痕跡が消え、記憶は薄れ、災害自体を知らない人も増える。阪神大震災も例外ではない。その流れに抗するように、震災や震災がもたらしたものを伝え、学ぼうとしている動きを探る。

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