以下の文章は「朝日新聞・朝刊」2002年12月13日に掲載された記事を転載しています。
長田名物、次は「ぼっかけ」
不屈の意地で震災を「卒業」
神戸支局 斎藤徳彦
「1度は崩れた街なのだ」 鉄製の屋根がねじれてゆがむ「震災アーケード」を目の当たりにして、実感した。 阪神大震災の時は東京で高校生だった。鳥取から転勤して神戸市西部の担当になった7月、長田区のJR新長田駅で初めて降りた。 被災の傷跡を色濃く残す街で耳慣れない言葉を聞いた。 「もう、『ぼっかけ』でてんやわんやですわ」 牛すじ肉とこんにゃくを甘辛く煮た食材で、地元ではうどんにかけるのが定番だ。 商店街などが出資して昨年発足した企画会社「神戸ながたTMO」の主要メンバーの商店主らが、これを名物に集客を、と動き始めていた。 業務用カレー全国一を誇るMCC食品の工場が区内にある。TMO商業活性事業部長の森崎清登さん(49)は4月、話を持ち込んだ。3日後、レトルト「ぼっかけカレー」の試食品が出来上がった。 食べさせてもらった。すじ肉の風味がカレーの濃厚さに負けず、具の歯応えが小気味よい。上品でもぜいたくでもないが、なかなかいける。 8月、同社は「ぼっかけカレー」と「ぼっかけカレーラーメン」を発売。すでに6万食を売り、初年度の目標を大幅に上回りそうだという。 東洋水産(東京)が9月に売り出したカップラーメンは1カ月で17万食売れた。敷島製パン(名古屋)が「ぼっかけカレードーナッツ」で続き、コンビニのampm(東京)もおにぎりの具に入れた。 2年前、長田生まれの「そばめし」が冷凍食品になり、全国的なヒットとなった。だが、地区内60店以上のお好み焼き店のメニューに並ぶそばめしと違い、ぼっかけを扱う店はほとんどなかった。 せっかくの盛り上がりも、地元で食べられなければ客は来ない。TMOでお客様相談室長を務める田中雅久さん(29)は扱ってくれる店を探して、頭を下げて回った。 「軍艦巻きを作って」という願いに首を縦に振らなかったすし店主が翌朝、やって来た。「寝ずに考えた。食べてみてくれ」。差し出したのは、ぼっかけを具にしたちらしずし。思わず涙が出た。 TMOは11月末、地区内でぼっかけを食べられる店を地図にまとめた。パイやコロッケ、オムライス……18の飲食店が、名を連ねた。 ほとんどの人の商売に関係はない。森崎さんはタクシー会社長、田中さんは内装業。不況で余裕があるわけもない。なぜ、商店街のために。「長田は『こんなことでは、へこたれへん』という意地の街だ」。森崎さんの説明だ。 70年に21万人と、今の区割りに直すと市内最大だった長田区の人口は現在、逆に最小の10万5千人。人口が流出する中、残った人たちは肩を寄せ合って商売を続けてきた。 新長田駅周辺の店の約7割が震災で全壊したとされる。燃え落ちる街に立ちつくした記憶が人々を結びつける。 今、この街を歩くと、解体工事が始まった震災アーケードのわきで、オレンジ色の地に「ぼっかけ」と白く染め抜いたのぼりが翻る。 「震災を忘れるんじゃない、卒業するんです」。田中さんは言う。被災の痛手を脱し切れずにいる神戸で、たくましさを感じさせるこの街の挑戦を見守って行きたい。 |
※ 新聞紙面よりスキャナで写真を取りこみましたので、若干汚れが目立ちますがご了承下さい。