こんなところでも近畿タクシー

区切り線

震災復興の過程で「企業」が「地域」に目を向け始め、「地域」との関係を改めて重視する姿勢を見ることができた事例を集め、被災者復興支援会議により冊子が制作されました。今回、弊社がその中の1つとして紹介されています。
この冊子には全部で11の事例が掲載されています。(三ツ星ベルト(株)、(株)フェリシモ、日本トラストファンド(株)、但陽信用金庫、(株)神戸製鋼所、三菱重工業(株)神戸造船所、他等)
なお、被災者復興支援会議は、座長・室崎益輝氏(神戸大学都市安全研究センター教授)、副座長・加藤恵正氏(神戸商科大学商経学部教授)をはじめ十数名のメンバーにより構成され、兵庫県阪神・淡路大震災復興本部総括部生活復興課内に設置されています。

以下の文章は冊子「復興まちづくりへの新たな視角“震災復興と企業文化”〜地域と企業の新たな関係構築を目指して〜」
(被災者復興支援会議[兵庫県阪神淡路大震災復興本部総括部生活復興課内]発行・編集)に掲載されたものを転載しています。

「まちの死蔵資源」を発掘・編集する社会起業家

近畿タクシー(株)森崎社長(神戸市長田区)
「被災のまち」長田への修学旅行の誘致、「ぼっかけカレー」の発掘、商品化などに森崎社長が奔走し、まちの死蔵資源の発掘を行い、まちの活性化に貢献している。
 近畿タクシー(株)社長森崎氏は企業家として、また、まちづくりプロデューサーとして神戸長田にこだわっている。きっかけは、1999年に長田区内の商店街が企画した復興大バザールへの関与である。このときに(株)神戸ながたティ・エム・オー(以下「長田TMO」という)の存在を知り、まちの再生がタクシー事業の成否に直結することに気付き、長田TMOへの出資さらにその活動への参加に至った。震災後、まちづくりの主体はボランティアという構図から、経済的に自立性の高いアプローチが必要との思いも強かったこともある。
 2000年、長田TMOが通商産業省(当時)の支援で行った「高齢者に優しい商店街づくり事業」での「買いもん楽ちんバス(無料)」(期間限定実験)の運行は、高齢化し商店街に買い物に来ることも困難になってきた住民に、病院なども含む生活に密着した移動手段を提供しようとするもので、長田住民ニーズを感じることができた。まちの移動を支えるビジネスの必要性を感じるという意味で手応えはあった。
 長田を単なる「被災のまち」からこれをしたたかに利用する「観光のまち・食のまち」への転換も提案し実行に移した。アスタきらめき会(新長田駅南地区商店街地域を中心にイベント、勉強会などを通したまち全体の活性化を目的に結成した会)観光部長として、修学旅行の誘致に奔走。当初、商店主の一部に戸惑いがあったものの説得して実施してみると、商店主は実体験を真剣に聞く生徒たちに驚き、当初50店ほどの参加が今では200店ほどが参加している。経済効果もかなりあるという。
 また、現在では全国ブランドになってしまった「ぼっかけ」は、「そばめし」と並ぶ下町の味を象徴するもののひとつだったが、これを発掘し地元のエム・シーシー食品(株)と「ぼっかけカレー」を商品化したのも森崎氏である。商品化した製品を、今度は長田の食品会社「伍魚福」に協力を依頼し、販売ルートの確保も行った。地域に死蔵された経験や生活のノウハウをもう一度再評価して市場化することで、まちの活気醸成が加速される効果は大きかったという。それまでは誰も耳を傾けなかった震災体験をまちの資源として発掘したり、中小企業のまちで「発明」された食品を地域の協力をつなぎながら製品化する。
 森崎氏の「活躍」は、地域のなかに死蔵された資源を、これまで関係をもたなかった多様な人たちにつなぎ、これを編集していくことで新たなビジネスを興し、まちを活性化させることに貢献しているといえるだろう。
 タクシー会社の経営という点でも、森崎氏の力量はいかんなく発揮されている。次世代型タクシー会社として、タクシー運営と介護・警備を連動させる構想を示している。拠点から半径2kmが重点的なタクシー営業地域であることを活用。運転手は長田TMO圏域については、細い路地まで熟知している。また、毎日ここを走ることでまちの変化や状況にも通暁している。
 こうしたまちの情報の蓄積を活用するためには、本来ならばかなりのコストを支払わなければならないはずである。タクシー乗務員はいながらにしてこの情報を有している。介護支援のなかでの買い物や病院への移動需要は、高齢者が多い長田にあっては大変大きい。これまで、まさしく「死蔵」され顕在化しなかった需要といえるかもしれない。
 さらに、地域を熟知する50余台のタクシーは、地域の安全の番人としての役割を果たすことも可能となる。ここにも、ビジネスチャンスはある。タクシー経営は、こうした地域情報の蓄積・地域の人々との信頼といった資源を核に、巧みに「範囲の経済」を醸成しながらまちづくりと企業経営を融合していくことになる。単なる移動手段であったタクシーは、広義の地域メンテナンスビジネスを指向する次世代タクシーへ変身を遂げるかもしれない。
 社会起業家の定義は必ずしも明確ではないが、「医療、福祉、教育、環境、文化などの社会サービスを事業として行う人たち(町田洋次『社会起業家』)」ということではあろう。ただ、この定義に森崎社長のように企業家としての嗅覚を生かしながらまちのなかで死蔵された需要を掘り起こし、硬直化した「関係」を再編成しながら起業をたくらむダイナミックな地域イノベーションのプロデューサーを位置付ける必要があろう。
 なお、近畿タクシー(株)は、1952年設立。現在、従業員80名で、バス・タクシー事業、指定訪問介護事業、警備事業など地域サービス企業として従来のタクシー会社のイメージとは異なるユニークな経営を行っている。

戻 る