以下の文章は「夕刊フジ 平成17年1月19日」に掲載された記事を転載しています。
阪神大震災から10年 負けてたまるか!
商店街復興へ奔走!
タクシー会社社長 森崎清登さん(52)
新長田地区の街づくりに 燃える森崎社長。 「これからが本番」と 意欲的だ =神戸市長田区 |
変わり果てた街に呆然 「震災のまち」として、修学旅行生や観光客を集めるJR新長田駅(神戸市長田区)周辺の商店街。周辺の街づくりを進める第3セクター「神戸ながたTMO」商業活性化事業部長で、近畿タクシー社長の森崎清登さん(52)は、駅前から北約1キロの丘陵地にある自宅で被災した。 「大阪にとんでもない爆弾が落ちた!と思い、飛び起きると、壁が平行四辺形にゆがんでいました。幸い家屋の倒壊は免れ、家族も無事。近所の人の『大丈夫ですか』と呼びかける声で、地震だったことに初めて気づきました」 外に出ると、1階部分がつぶれたアパートや住宅が何棟もあった。市街地に目を向けると、煙が3本上がっているのが見えた。 「夕方になっても火災は収まらず、空が真っ赤に染まっていたのが印象に残っています。ガスと水道が止まり、延焼が怖くて会社でテレビを見ることしかできませんでした」 翌日になって、火災はようやく下火に。市街地の様子を見ていくと、がれきの山に変わり果てた街の姿に、呆然となった。生まれ故郷の千歳町(神戸市須磨区)も焼け野原になり、「心にぽっかりと穴が開いたような気がしました」。同時に街の復興を強く決意したが、日々のあわただしさに追われ、歳月だけが過ぎていった。 復興バザールでピストン輸送 震災から5年後の平成12年、営業エリアにある新長田地区の6つの商店街が合同で「復興大バザール」を開催することになった。「街づくりのために何かしたいと悶々とし続けていたので、すぐに『これだ!』と思い、協力を申し出ていました」。商店街側の快諾を得て、新長田駅から南約600メートルの会場までを自社のマイクロバスで客をピストン輸送、バザールは大成功を収めた。 さらに商店街を中心に地域を巡回する「買いもん楽ちんバス」を2カ月限定で運行し、地元の信頼を得るようになった。 今では多数の修学旅行生受け入れ 13年には商店街関係者の会合で「長田を『震災のまち』をテーマにした観光地にしたい」と提案した。震災の傷が癒えていない関係者の中には、反対する声もあった。森崎さんは、「商店主が語り部や」「社会学習ができる街にして、後世に伝えよう」と説得した。 「会社は商店街から離れたところにあり、はっきり言って私はよそ者。しかし、震災後の不景気で商店街はジリ貧状態。何とかしたいという商店街側には、私の意見を受け入れる度量の大きさがあったと思います」 3カ月後には震災学習の修学旅行生の受け入れに成功。現在では、山形県から山口県までの17校から計約500人の修学旅行生を受け入れ、牛すじとコンニャクを甘辛く煮込んだ「ぼっかけ」を長田区名物として売り込む。 本業でも「お花見タクシー」や「海のタクシー」「福祉タクシー」などユニークなタクシーを運行する。 「街の復興は商店街の復興なくしてありえない。営業エリアに、復興に燃える商店街があったのは運が良かった。10年たって、ようやく夜明けを迎えたところです」。森崎さんの挑戦は始まったばかりだ。 (格清 政典) |
※ 新聞紙面よりスキャナで写真を取りこみましたので、若干汚れが目立ちますがご了承下さい。